「本間雅夫の音楽'10」を開催するにあたって
萩音会会長 戸川榮士
 
会員の皆さん,お元気にお過ごしのことと拝察申し上げます。ここ仙台は「仙台七夕」も終わり,秋風が立ち始めました。先月中旬からの猛暑を思うと,別天地のような朝晩を過ごしております。
 
さて,表題にあります「本間雅夫の音楽'10」は,宮城教育大学で長年教鞭を執り,2008年(H20)6月21日に逝去された,名誉教授本間雅夫先生の作品発表会です。本来であれば,逝去された折りに,時を置かずに追悼の会を催さなければならなかったところではありますが,日々の生活に取り紛れ,誠に失礼ながら萩音会として,追悼の会を開催できなかったことは慚愧に堪えません。
この度,音楽科の吉川教授をはじめとして,本間先生に縁の方々,そして本間先生に直接教えを受けた教え子の有志が,本間先生の追悼の意味を込めて作品発表会「本間雅夫の音楽'10」を開催する計画を立てました。
 
本間雅夫先生は,1974年(S49)4月、宮城教育大学助教授(作曲)として仙台においでになり,1979年(S54) には教授となられ,1994年(H6)に退官なさるまで,20年間私たちの母校に奉職なさいました。その間,音楽科関係の学生が300余名卒業しました。また,退官後も2008年(H20)6月21日御逝去なさるまで,本間先生を慕って様々な人が音楽的な教えを受けに,先生の元に通いました。
本間雅夫先生は,在職中からご自身の作品発表の機会を設けられ,日本国内は言うに及ばず,韓国やアメリカでも広く先生の作品が演奏されています。また先生は宮城県教育文化功労賞をはじめとして,たくさんの賞に輝いておられます。ことに,2008年(平成20年)の「瑞宝小綬章」受賞は私どもの記憶に新しいところです。
 
このようにたくさんの音楽関係者を排出し,たくさんのすばらしい音楽を作り出し,教育音楽,芸術音楽,民族音楽など,多岐にわたってご活躍された先生が,突然ご逝去なさるとは夢にも思いませんでした。先生の訃報を耳にした時は,まさに青天の霹靂でした。今でもご自宅にうかがえば,「やあ」と言って戸を開けていただけそうな,そんな気持ちで瞬く間に2年間が過ぎてしましました。
この度,本間先生はもうこの世にいないのだ,先生の新しい作品はこのあと生まれないのだという現実を真摯に受け止め,「本間雅夫の音楽'10」を開催いたします。開催の内容は別紙の通りです。
 
会員の皆様,当日は一人でも多くの会員が会場に足を運ぶことを心より訴えます。また遠隔地にお住まいで当日の会に参加できない方は,「本間雅夫の音楽'10」の会の趣旨にご賛同頂き,協賛の意をお示し頂くことを心より訴えます。


萩音会会員の皆様へ
 
赤尾裕子 (昭和56年度卒業 旧姓:鈴本)
 
 学生時代に勝手がわからず無我夢中で、あるいは身動きのとれぬままに、あの音楽棟で長い時間を過ごしていました。そしてその同じ時間を過ごした友人や先生方と、まさか卒業してからもこんなに長い時間のお付き合いになるとは当時は全く考えていませんでした。音楽理論が苦手だった私にとって本間先生は授業だけではなく、音一合研に戻ってからも、何かと怖い存在でした。それなのに学生時代も卒業後も、自分を育でてもらった、と思える先生でした。もしかすると宮教大のあの小ささが学生たちと教官とのそんな親密さを作ってくれたのかもしれません。さらに学生ととことん付き合ってくださった本間先生に多くのことを教えて頂きました。そんな風に思われる卒業生の皆さんは大勢いらっしゃるのではないでしょぅか。
 本間先生の訃報に接したとき、もっと先生のお話を聞きたかった、もっといろんなことを教えて頂きたかったと後悔にも似た気持ちがありました。まだまだ時間は残っていると思いこんでいました。しかし仝回この作品展を通じて、先生は亡くなられたけれど、その作品を通して、懐かしむだけではなく、もう一度、本間先生を知ることになるのではないのか、そんな風に考えるようになりました。
 卒業生の皆さんの中には、今までも本間先生の作品を聞いたり、あるいは演奏したり、という機会をお持ちの方もたくさんいらっしゃると思います。そして本間先生とのたくさんの思い出をお持ちだと思います。今回、改めて、作品工から絶筆までの本間先生の作品に触れることにより、作曲家としての本間先生、教育者としての本間先生とのもう一度の出会いがあるのかもしれない、私はそんな風にも考えます。どぅぞ演奏会場に足をお運びくださるように心からお願い致します。
 
鈴木 直子 (昭和59年度卒業)
 
 確か卒業作品を作曲していた頃のことだと思います。今となっては当時の私が何故そんな質問をしようと思い立ったのか皆目見当がつきませんが、大学4年生の私は本間先生にこう尋ねました。「本間先生、『音楽』って何ですか?」・・・今でもはっきり覚えているのは先生の答えが全く躊躇なく即座に返ってきたことです。「『コミュニケーション』だよ。」・‥・残念ながらその後会話の行方がどうなったのか記憶にありませんが、その時私の中に「音楽=コミュニケーション」という大きな命題が刻まれたことは間違いありません。
 世の中に「コミュニケーション」の定義は数多くあると思います。ただ、それらの定義は「コミュニケーション」は 「伝え手」と「受け手」とが存在し、その両者が関わり合ぅことで成立するという点できっと共通するのではないでしょうか。つまり「受け手」の存在は非常に重要で、「受け手」なくして 「コミュニケーション」は存在し得ないのです。今回の演奏会において 「伝え手」は音楽家本間雅夫であり、「受け手」は教え子である私たちをはじめ本間雅夫という音楽家を敬愛する多くの人たちです。本間雅夫という人物がこの世を去ったとしても、デビュー作の弦楽四重奏曲が、各年代の代表作が、先生が最後まで病床で書き続けていた絶筆が私たちに熱く語りかけてくるはずです。そして、「受け手」である私たちがその 「音」を一心に受けとめることで《本間雅夫の音楽》が真の意味で成立するのです。
 萩音会会員の皆さま・・・是非11月22日の演奏会にご来場いただき、50余年に渡り本間先生がその作品に託した「思い」を受け取ってください。もし、当日会場にお越しになれない場合には、協賛金という形で演奏会の開催に力をお貸しください。どぅぞよろしくお願いいたします。
 最後になりましたが、萩音会会員の皆さまのそれぞれの分野でのご活躍とご健康、そしてご多幸を心よりお祈り申し上げます。
 
桑原 郁子 (昭和60年度卒業)
 
みな様こんにちは。
《本間雅夫の音楽'1O》の準備に関わらせていただけること大変うれしく思っています。また,追悼の気持ちを表す演奏会がこんなに遅くなってしまったこと,卒業生として申し訳なくも感じています。
今回の演奏会は全て本間雅夫先生の音楽で構成されています。その中には本間先生ご自身がぜひ追悼演奏会でと言い残されたものと,奥様の眞理先生を中心に今回選曲されたものとがあります。どの曲も思い入れの深いものぼかりで私も今からその演奏を心して聴かせていただきたいと気持ちを新たにしているところです。
 
先生の音楽がこれまでたくさんの方々の胸を打ってきたことは周知のことであり,その業績について論じるのは他の方に委ねることとして,私は教育者としての本間先生をふり返ってみました。
 
先生の授業を受げたことのある人にはつとに有名な「音楽理論」の宿題の話。右肩上がりの癖のある字で書かれた赤ぺンでの添削。独特の表現と力のこもった授業・・・ダジヤレもまたパターン化され理論立っていた・・・。どれほどたくさんの学生が先生の情熱こもった授業で笑わされ泣かされてきたことでしょう。私のような劣等生にとってはまさに苦しみでした。しかし,先生はどんなにできが悪くても決して見捨てることなく根気強く最後までご指導くださった。その時の先生の姿勢が,教職に就いた私の今までの支えともなっているよぅな気がします。そしてまた,25年も仕事を続けてきてもなお,「あのときの先生のような情熱をもって子どもと接することができているのか。」と自問自答する日々です。学生に自分の思いを伝えることにも力を注いでいらした先生の,教育者としての姿もまた強く心に残っているのです。それはまた,音楽を通しても行われ,いつまでも「本間雅夫の音楽」という形で私たちの心の中に息づいているのです。
本間先生が亡くなられてから,様々な機会に先生の作品が演奏されてきました。私はそのたびに「作曲家の方のお仕事はすてきだな。」と感じています。演奏される度に様々な表情でわたしたちに何かを伝えてくださるからです。演奏者の方の違いはもちろん,それを受け取る側の聴き手の思いやその時の心情もそこに反映されてくるのでしょう。
どうか本間先生ゆかりの皆様で会場をいつぱいにしてください。たくさんの方々が,演奏を聴いて,先生と過ごした日々,先生の音楽にかけた情熱,そしてわたしたち教え子へ伝えたかった思い,願いへと思いを馳せることができたら,そのことが先生への何よりの恩返しになることと思います。先生もきっと喜んでくださることでしょう。
たくさんのみな様が当日会場へ足を運んでくださることを切に願っております。ご来場お待ちいたしております。どうぞよろしくお願いいたします。
 
夛田真一 (平成4年度卒業)
 
「俺の葬式はしんみりと、追悼演奏会は盛大に」(生前の本間先生の言葉より)
皆様こんにちは。自分は宮城教育大学の卒業生で現在宮城県で中学校の音楽の教員をしている夛田真一と申します。平成元年に入学し、平成四年度末 (平成五年三月)に卒業した、学籍番号Cの1000番代の音楽専攻です。私が所属した学年は、本間先生が宮教大に在職されていた期間で本間先生が担任された、最後の学年でした。
 
さて、本間先生は生前「もし俺の追悼演奏会をやることがあったら、弦楽四重奏曲第一番(1954)津軽方言詩と室内楽のための六章(1963)ピアノのためのクロス・モード(1978)の三曲はいれてほしいと仰っておりました。ぞこで、宮城教育大学教授の吉川先生を中心としてく本間雅夫の音楽'10プロジェクトが結成され、演奏会を企画する運びとなっております。生前本間先生は、7 O歳を過ぎて毎年のよぅに作品展を継続して開催したことが何よりの誇りであったそうです。今回の演奏会は、その本間先生の作品展・本間雅夫の音楽シリーズの集大成として位置づけ、そしてなんとか成功させたいと、プロジェクトメンバー一同一心に活動している、といった状況です。
 
話は飛びます。本間先生は生前、「地方の時代」ということを「地方を喰い物にする時代だ」憤っていたことがあったと、自分の中には鮮明な記憶として残っています。また、東北の方言を売り物にするタレントを、「媚びている」と、一喝されていたこともあったと記憶しています。こうしたことが何を意味するか狭いスペースには書ききれません。しかし、たとえば、from the local to the world といぅ言葉があります。こぅした言葉の本当の厳しさと実現の難しさを、時には身を切り裂くように引き受け、自ら実践し具現化しようとしてきたこと、そしてその実践の思想は本間先生の活動の根幹にかかわることではなかったか、と本間先生の下で学んだ学生の一人として、いまなお、深く考えさせられます。
 
生意気を重ねます。本間先生は地元に根ざすプロフェッショナルな音楽家も、演奏家としては無名な若い人も、独自の偏見のない眼差しで接してこられたよぅに思います。にもかかわらず、たとえば自分が師事したピアノの先生の一人は、「なぜ、プロもアマも一緒のステージにのるのか」と、今思うと、誤解していたのだなあ、と思うこともありました。なので、そうした実践がどれほどの困難を伴うものであったか。無責任な学生であった自分も、4O歳になった今振り返って、なんともいえない思いにとらわれます。
 
今回、本間先生のデビュー作から、絶筆までそれぞれの時期の代表的な作品の演奏に、伝田正秀さん(仙台フィルハーモニー管弦楽団コンサートマスター)はじめ仙台フィルの精鋭の皆さん、長年にわたって本間作品と深く関わってこられた合唱指揮の千葉敏行さん合唱団パリンカの皆さんほか、現在本間作品を演奏するにあたって、最もふさわしい演奏家の方々のご出演を頂けることとなりました。
今回の演奏家の方々は、本間先生の作品を演奏するにあたって、文字通りこれ以上無いべストの
布陣といえるとおもいます。それは本間先生がどんな思想でどんな人生を生きてきたか、を思うにつけてもです。天国の本間先生、聞いてください。大丈夫です、地方は喰われていません、と、自分は空に向かって叫びたいほどです。
 
最後です。自分もたとえば師事する先生のリサイタルのチケットを「買わなければならないもの」「売らなければならないもの」としてだいぶ苦労した経験があります。なので、今回のような演奏会のチケット買ってくださいといった呼びかけには、自然に体が硬直してしまう経験は、はっきりいってあります。
しかし、人はなぜ冠婚葬祭に関するときは、それに比べると、ある程度はおおらかなのでしょぅか?そういったことも思ってみながら、偏見の無い心で、今回のお知らせを読んでいただければ、幸いです。
 
現代音楽のコンサートで客席が埋まることは、まず無い、といわれています。しかし今回の<本
間雅夫の音楽'1O>が、萩音会の会員の方のよびかけによって、協賛され、チケットが売られ、経済的にもある程度の成功 (赤字をどれだけおさえられるか)を生むことがあれば、益々、喰われない地方、どころか、もう一ランク進み、発信する地方として、本間先生の思想の具現化の運びとなることを、自分は確信します。お金の問題というのは、話題にしづらいところですが、お金の問題も重要なことは、この際、ごまかさずに言うことにします。今回、萩音会を中心に協賛を呼びかけ、興行的にも、現代音楽の演奏会としては、赤字状態からほぼトントンに近いところまで持っていきたいと考えています。支出は、ホール代、チケット・チラシ・プログラム、出演者のギヤランティーが、大きなところです。広告などの協賛金、文化財団、文化事業団からの支援を受けても、大きく赤字が見込まれています。プロジェクトメンバーの人件費といぅことを考えれば、そこは、手弁当な状態 (当たり前の話ですが、)につけても、です。
演奏会当日は、宮教大でともに学んだ、仲間、先輩、後輩の多くの方々をお会いできることを、心より楽しみにしております。どぅか、よろしくお願いします。
 
仲沼 祐太 (宮城教育大学大学院生)
 
最近卒業された皆様へ
 
こんにちは。私は宮城教育大学大学院、音楽教
育専修二年生の仲沼祐太と申します。このたび、平成6年まで宮城教育大学で教鞭をとられていた本間雅夫先生の追悼演奏会を開催することとなりました。私は、「作曲の先生といえばキッカワ先生だ」という、最近卒業された方々向けにメッセージを書きたいと思います。
 
私は、生前の本間先生と直接会ってお話する機会はありませんでした。私が本間先生と初めて 「出会った」きっかけは、一つ上の先輩が卒業演奏会で演奏した、「ビアノのためのクロス・モード」を聴いたときでした。このとき、心の芯にまで響くような力強い音楽に衝撃を受けたことを今でも憶えています。これが本間先生の代表作であることは後で知りました。それから私は数回、本間先生の作品展に足を運ぶようになりました。
 
この文を読んでいる方々の多くは、(私のように)本間先生とあまり関わりがなかったり、お会いしたことがなかったりすると予測されます。しかし幸運なことに、残っている楽譜や、実際に演奏される音楽を通じて、今からでも本間先生と対話することができます。そしてそこから深い感動を得ることもできます。
 
本間先生の作品はいわゆる現代音楽であって、苦手な方も多いでしょう。しかしこの音楽の作曲者は、遠い異国で意味不明な言語を喋るような人ではありません。私たちが育った宮教大の音楽棟で授業をされていた、とても身近な存在の、偉大な芸術家です。彼がお馴染みの緑に囲まれたキヤンパス、じめじめした音楽棟、そして活気ある学生たちと接しながら、楽譜にどのような音世界を描いたのか・・・興味が沸いてきませんか?
 
敷居が高く、敬遠されがちな現代音楽の演奏会ですが、少しでも親しみを持っていただけたら幸いです。できるだけ多くの方々 (特に若い方々)に、本間作品を知ってもらうことが、私の願いです。ご多忙であるとは思いますが、演奏会に足を運んでいただけると有難いです。よろしくお願いいたします。
 
 
 
 
 
 
 
「本間雅夫の音楽’10」
 
チケットのご案内、ならびに協賛金のご協力のお願い
 
チケット:一般  3,000円
     学生  2,000円
協賛金 :一口  3,000円 
 
○ ご案内を送った方には,下の振込用紙が同封されています。
                     (赤枠:振込手数料は受取人払い)
○ このHPで初めてごらんになった方は,郵便局備え付けの振込用紙(青枠:振込手数料振込人払い)に,下の振込用紙に習って必要事項をお書きの上,金額をお振り込みください。
 
○ チケットについては,後日郵送にてお送りいたします。
 
○ 協賛金をお寄せ頂いた方には,作品展(演奏会)終了後,本間雅夫の詳しい年譜や、出版・未出版などもわかる、全作品リスト、生前の写真など掲載予定の、資料としても価値のある当日プログラムを、贈らせていただく予定です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 






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